習慣化していても取り掛かるのはやはりめんどくさい。
先日、ジムのトレーナーが選手のスパーリング中に怪我をして骨を痛めてしまいました。
骨を痛めていても指導はできるので、ジムには来てはいたんですが、大声も出せないほどで練習を見て、アドバイスをする程度でまったく動けていませんでした。
そのトレーナーがぼそっと「動きたいなぁ」と声を漏らしていて、選手は一同に、「出来れば練習はやりたくない」とか「トレーニングをやりたくなるもんですか?」とか質問が飛び交いました。
トレーナー曰く「行くまではめちゃくちゃしんどい」のだけど来てみんなが練習しているの見ると自分もやりたくなるのだそうです。
選手でも誰でも練習はしんどいし出来ればサボりたいものです。
ほぼ日刊イトイ新聞というサイトの主宰者糸井重里氏はそのほぼ日の「今日のダーリン」というコーナーの連載を18年休むことなくアップし続けています。
そして、続ける秘訣を以下のように語っていました。
サボりたいと思ったことはありませんか?という質問に対して彼は
「ほぼ毎日サボりたいと思っいる」
「いつやめても原稿を飛ばしても大したことにはならないと思うと続けていられる」
「ほぼ毎日サボりたいと思っているから1日休んだら1ヶ月休みたくなるだろう」と語っていました。
要するに続ける秘訣なんてないという事をお話されていました。
でも彼は続けています。
なぜか?
続けないと読者を裏切ることになるからではないかというのを言葉の端々に感じました。
きっと読者(サイトの読者)を裏切ることは信用を失うことで、やり続けることがメッセージになっているのではないかと感じました。
継続は力なりとはいいますが、18年間1日もサボらないというのは地味だけど偉業です。
糸井さんですら毎日サボりたいと思っているのですから
サボりたくなって当然なのです。
しかし、サボらないのは自分のためでもあり人のためでもあり社員のためでもあり会社のためでもあるのです。
サボらないことがメッセージそのものになっていて、使命感があるから続けていられるのだと思うのです。
「やめないことぐらいだったら誰にでもできるじゃないか。」
「だから、あなたも続けなさい。」
そう、語られている気がします。